こんにちは。

今回は、今年の24時間テレビについての感想です。
長くなったので、セクションを区切って記します。



いつもと違う24時間テレビ

毎年8月の終わりにやっている24時間テレビをみると、今年も夏が終わってしまうなとしみじみしたものです。
しかし今年はいつもとは全然違う「自粛の夏」。
番組も「三密」にならないように、お客さんは入らないし、マラソンで街中を走らないし、といった感じで大幅に変わってしまい、いつもの24時間テレビのような盛り上がりは、あまりなかったように思います。
そもそもやるやらないで賛否両論があるみたいですが、日テレ的には箱根駅伝と同じくらい大事なイベント(金儲け)ですからね、実施しないなんてことには絶対にならないと思っていました。

そんなに毎年じっくり見てはいませんでしたが、志村けんさんのドラマ『誰も知らない志村けん -残してくれた最後のメッセージ-』は最後までじっくり見させていただきました。
自分にとっても昔から知っているコメディアンの志村けんさんが、新型コロナウィルスによる肺炎で亡くなられたのは今年3月終わり。
大好きな芸人さんというわけではなく、テレビで当たり前に出ている愉快なおじさんが亡くなったこと、今でも実感がありません。
なんでこんなに実感がないんだろう、まだ生きていると思ってしまうのだろう。
その答えがもしかしたらドラマの中で描かれているような気がして、ドラマを観てみることにしました。



ドラマではなくドキュメンタリー

たしかにドラマ的な要素もありましたが、どちらかというとドキュメンタリーでした。
フィクションの要素を排し、生前志村さんとかかわりのあった芸能人たちが、彼とのエピソードやその人間性を語る構成になっていて、ドラマの主題である「これまでプライベートを見せなかった志村けんは、なぜ『天才!志村どうぶつ園』のパイロット番組を境に素顔を見せるようになったのか」の一つの答えが非常に見えやすく、ドキュメンタリーの形をとっていたのはとても良かったと感じています。
放送のタイミングが死去から約5か月後で、そのタイミングで放送するってどうなの? という意見も多かったようですが、私はこの人々の記憶から志村けんが消えていないこのタイミングで、志村さんが何をつたえたかったのかを広く知ってもらうという意味で、このタイミングがベストだったのではとも思います。



「志村けん」を一言でいうと

志村さんを昔から知っている人には常識だったかもしれませんが、志村さんはバラエティー番組に出演しない人だったというのは初知りでした。
自分がテレビを見始めたときは、志村さんといえば、志村どうぶつ園や格付けチェックに出ている人でしたから。
このドラマにおいては『志村どうぶつ園』のパイロット番組までは、バラエティー番組に出たとしても、自分のプライベートを見せない、つまり「芸人」としての顔だけをお茶の間に届けていたようです。
志村けんは「コメディアン」なのだから、プライベートを見せることが自分の美学に反している、というお堅い人なのかと思いきや、Wikipediaによると
バラエティ番組に出演することは勝手が分からず気恥ずかしいという気持ち
があったから、とあるので、どうやら職人気質な考えでバラエティーに出ないようにしていたわけではないようですね。

ドラマの中でも、私たちがみている「志村けん」と、楽屋でスポーツ新聞?を読んでいる「志村けん」は、かなりイメージが乖離していました。
しかし、だからといってコミュ障というわけでもなく、バーで見知らぬお客さんの犬を散歩させた、というエピソードからも、動物好きであり、むしろ知らない人とも壁を感じさせずにコミュニケーションがとれる親しみやすさのある人物であることを想起させます。
この『志村どうぶつ園』への出演が、「テレビの中にいる面白いコメディアン」から、「テレビでよくみるけど、テレビじゃなくても会えそうで、どこにでもいそうな近所の面白いおじさん」へと、イメージを変えていったのだろうと感じますね。

だから、彼がたとえ亡くなったとしても「テレビで会えそうな気がする」から、まだ生きていると思ってしまうのかもしれません。
しかし彼はもういないんですよね。やはり不思議……。



「志村けん」から学ぶ「伝えることの大切さ」

彼は『志村どうぶつ園』のスタッフや共演者に、多くの言葉を遺していました。
その中でもディレクター(ドラマの主人公)に語った言葉『続けていこうね、必ずいいことがあるから。
かなり重みのある言葉だと思います。

何かを始めることは意外と簡単ですが、何かを続けることは難しいものです。
続ける才能があるかどうかが、人生の成否を分けているような気がします。
新しいことを始めても、それがなかなか目が出なくて(成果が出なくて)途中で挫折してやめてしまったり、それが理由で次の新しいことをスタートさせることが踏み出せなくなったり……。
なかなか続けることが難しいからこそ、続けていたことで、あとから振り返って「やっていてよかった」と思えたことがあったからこそ、志村さんは『続けていこうね、必ずいいことがあるから。』と言えたのですね。

ディレクターだけではなく、番組で共演していたハリセンボンやタカトシや相葉くんにも、いろんな言葉をかけていたようです。
ドラマの中では、志村さんは「バトンをつないでくれていた」と表現していました。
自分の人生感じたこと、知ったこと、学んだことを、誰かに、いや一人でも多くの人につなごうとしていた。
志村さんから繋がれたバトン、志村さんが残してくれたメッセージ。自分の生きた証を誰かにつなぐということを。

私はこの考え方に深く共感します。
生きている時間は有限で、宇宙単位でみたらミジンコよりも小さく短い命である人間は、生きている間に何を後世に遺せるのでしょうか。
遺せるものは多くはないが、せめて身近な、自分の大切な人たちには、自分の経験したこと、感じたこと、知ったこと、学んだことを伝えたい。
それは自分の価値観の押し付けかもしれないが、それでも相手の価値観というか、考え方の一つとして心に留めてほしい。
自分にもそういう思いがあり、このブログで自分の思いを残しているのも、そのとき「今」の自分は何を感じ、どう生きようとしたかを残しておきたいからだったりします笑

志村さんもそういう思いがあり、『志村どうぶつ園』の出演を決めたのも、もしかしたらそういう思いがあったこそなのかもしれません。
彼の遺してくれた思いは、このドキュメンタリーを通じて多くの人に伝わっていると思います。



「志村けん」と「Let It Be」

あるがままの自分を信じなさい 信じたら、続けてみなさい
ドラマは上記の名言と共に、志村さんと親交のあった方々が「Let It Be」を歌って終わります。

志村さんは中学時代からのビートルズファンであったことに加え、この曲が歌われたのにもちゃんと意味があります。
ビートルズの名曲「Let It Be」ですが、タイトルの日本語の意味は「あるがままに」。
人生の中で悩み苦しんでいるときも、絶望にさいなまれて死にたくなりそうなときも、大好きな人と離れ離れになっても、「あるがままの自分を信じなさい 信じたら、続けてみなさい」と歌っているのです。
この「自分を信じて続けていく」ということを、志村さんが誰に伝えていたのか、は、私には読み取れなかったのですが、この曲が好きだったらしい志村さんは、↑を自分に言い聞かせていたのかもしれませんね。
ちなみに、Googleなどで「Let It Be 和訳」で検索をかけると、多くのサイトがヒットするのでぜひ英語の歌詞の意味を調べてみてください。



・・・



すごい横道にそれますが、これはこの間出た中須かすみのシングル『無敵級*ビリーバー』の歌詞にも、同じニュアンスの言い回しが出ていたことに気が付きました。
『ラブライブ! 虹ヶ咲学園スクールアイドル同好会』「無敵級*ビリーバー」 (BD付)
中須かすみ(CV.相良茉優) from 虹ヶ咲学園スクールアイドル同好会
ランティス
2020-07-29


この世界中の全員がNoだって言ったって
私は私を信じていたい
ビートルズの名曲でも、最近出たラブライブ!の新曲でも、自分に嘘をつかずに、自分の気持ちに正直になって、自分を信じて突き進むことが大事なんだと歌われています。
大切なことなのに、大人になると自分の気持ちに嘘をつくのが上手になり、自分の気持ちを蔑ろにしがちです。
大事なことはすぐに見えなくなりがちだけど、これからはもっと自分のことを信じてあげたいものです。


志村けんさん、ありがとう。