相手の気持ちを何となく察することができる自分にとって。
一番分かるはずの自分の正直な気持ちだとか。
自分が何を考えているかだとか。
そういうのがわからない。
相手よりも自分が一番よくわからない。
だから。
本当に自分がここに書いたことが本音なのか。
それともここに書くこともすべて嘘をついているのか。
もしかしたら相手のこともわかったつもりなのかもしれない。
何もわからないくせに、何も知らないくせに、相手に何かを言っているのかもしれない。
そんなふうに考えていると、気持ちがずーんと沈んでくるんです。
そんな自分が、思ったことがある。
もしかして自分は、
「あの人は、利用しやすい人だなあ」とか。
「絶対に怒らない人だから、何を言っても許されるだろうなあ」とか。
誰かにそんなふうに思われてるかもしれないことに気付きました。
被害妄想乙なことかもしれませんが。
自分を客観的に見たときに、そう思う自分がいるということは。
そうやって思っている誰かがいるのかもしれないと思ったんです。
でも自分を主観的に見てみると、片方は合っていて、片方は間違っていると思うんです。
確かに自分は利用しやすいと思います。
だけど、本人も利用されるときに、利用されている事実に、嫌な気持ちにはなりません。
ただ「あー、この人俺のこと利用している」ってことはハッキリわかります。
そのことで自分は不快な気分に全くならないし、相手がそれによって勝手に助かるならば、そんなことどうでもいいです。
自分に被害がこうむられるわけでは、ありませんから。
だけど、自分は自分のことを「絶対に怒らない人」だとは思わない。
自分が間違っていると思うことや、正しくないと思っていることに、同意したくはないんです。
相手が大切な先輩、大切な同級生、大切な後輩であればあるほど、それは違うとハッキリ伝えたいんです。
間違った同意をしてあげることで、その人が話した時にいくら救われたとしても。
結果的にそれが将来相手が苦しむことになるとわかっているなら、なおさら。
大切な人であればあるほど、間違っていることは間違っていると言いたくなります。
それが結果的に自分が嫌われることになったとしても、その人がそのことをいろいろ考えるきっかえになるなら。
嫌われてもいいやって思います。
大切な人に嫌われるのは怖いしつらいけれど笑
そうなると、否定されるのが怖いから自分にはいいたくないっていう人も出てくるんだろうなって考えました。
確かに自分の考えていること、思っていることを否定されたらつらいし。
自分が傷つくのが嫌だからいいたくないってなる気持ち。
かつて自分が抱えていた、いや今も抱えている気持ちです。
だけど、いくら自分が間違っていると思ったからといって、なんでもかんでも強く否定する必要はない。
強い否定だけが、相手に変われるきっかけをつくることはない。
話を聞くだけでも、相手に気付くきっかけをつくることができる。
そのことに朝気がついたのでした。
それなら、強く否定する人も、話を聞いてあげる人も、両方いるほうがいい。
どちらかが正しく、どちらかが間違っているということはないんだって思うんです。
どちらもあっていいですよね。
誰かが誰かの代わりにはなれないから。
このこと約半日ずっと考えていました。
Twitterに飲んだあとの気持ちでいろいろ書くのって、後からうわーってなるからもうやらない!笑
さて、卒論やりますか…。
一番分かるはずの自分の正直な気持ちだとか。
自分が何を考えているかだとか。
そういうのがわからない。
相手よりも自分が一番よくわからない。
だから。
本当に自分がここに書いたことが本音なのか。
それともここに書くこともすべて嘘をついているのか。
もしかしたら相手のこともわかったつもりなのかもしれない。
何もわからないくせに、何も知らないくせに、相手に何かを言っているのかもしれない。
そんなふうに考えていると、気持ちがずーんと沈んでくるんです。
そんな自分が、思ったことがある。
もしかして自分は、
「あの人は、利用しやすい人だなあ」とか。
「絶対に怒らない人だから、何を言っても許されるだろうなあ」とか。
誰かにそんなふうに思われてるかもしれないことに気付きました。
被害妄想乙なことかもしれませんが。
自分を客観的に見たときに、そう思う自分がいるということは。
そうやって思っている誰かがいるのかもしれないと思ったんです。
でも自分を主観的に見てみると、片方は合っていて、片方は間違っていると思うんです。
確かに自分は利用しやすいと思います。
だけど、本人も利用されるときに、利用されている事実に、嫌な気持ちにはなりません。
ただ「あー、この人俺のこと利用している」ってことはハッキリわかります。
そのことで自分は不快な気分に全くならないし、相手がそれによって勝手に助かるならば、そんなことどうでもいいです。
自分に被害がこうむられるわけでは、ありませんから。
だけど、自分は自分のことを「絶対に怒らない人」だとは思わない。
自分が間違っていると思うことや、正しくないと思っていることに、同意したくはないんです。
相手が大切な先輩、大切な同級生、大切な後輩であればあるほど、それは違うとハッキリ伝えたいんです。
間違った同意をしてあげることで、その人が話した時にいくら救われたとしても。
結果的にそれが将来相手が苦しむことになるとわかっているなら、なおさら。
大切な人であればあるほど、間違っていることは間違っていると言いたくなります。
それが結果的に自分が嫌われることになったとしても、その人がそのことをいろいろ考えるきっかえになるなら。
嫌われてもいいやって思います。
大切な人に嫌われるのは怖いしつらいけれど笑
そうなると、否定されるのが怖いから自分にはいいたくないっていう人も出てくるんだろうなって考えました。
確かに自分の考えていること、思っていることを否定されたらつらいし。
自分が傷つくのが嫌だからいいたくないってなる気持ち。
かつて自分が抱えていた、いや今も抱えている気持ちです。
だけど、いくら自分が間違っていると思ったからといって、なんでもかんでも強く否定する必要はない。
強い否定だけが、相手に変われるきっかけをつくることはない。
話を聞くだけでも、相手に気付くきっかけをつくることができる。
そのことに朝気がついたのでした。
それなら、強く否定する人も、話を聞いてあげる人も、両方いるほうがいい。
どちらかが正しく、どちらかが間違っているということはないんだって思うんです。
どちらもあっていいですよね。
誰かが誰かの代わりにはなれないから。
このこと約半日ずっと考えていました。
Twitterに飲んだあとの気持ちでいろいろ書くのって、後からうわーってなるからもうやらない!笑
さて、卒論やりますか…。
コメント