とあるアロエの暴走手帖

最近アニメがどんどん好きになっている、とある教習指導員のブログ。 「発見の毎日を」が目標。

2012年05月

ある本と出会うときに

シルエット (講談社文庫)シルエット (講談社文庫)
著者:島本 理生
販売元:講談社
(2004-11-16)
販売元:Amazon.co.jp
クチコミを見る

火曜日、図書館で島本理生さんの本棚の前でどれを借りようか迷っていました。
一気にすべて借りるのもいいし、むしろそうしたいんだけど、来週から実習が始まると読む時間もなくなってしまう。
結局『シルエット』と『大きな熊が来る前に、おやすみ。』の2冊を、直感で選んで借りることにしました。
図書館の閉館時間に家路についたのですが、外はポツポツ雨が降り始め、雷も鳴り始めていました。
そして電車の中で、まず薄い方の『シルエット』から読み始めることに。
全部で159ページあるにもかかわらず、一気に74ページにまで読む進めることができました。

そんな中、この本の39ページにせっちゃんが「『とにかく美人だけどおそろしい姫が、どっかの国の匠に仏像をつくらせたり蛇を殺させる話』」についてわたしに尋ねるシーンがあります。
このあと文章は、「どうやら坂口安吾の『世長姫と耳男』のことを言ってるらしい」と続きますが、まさにこの坂口安吾は、今日の5限の授業で扱っている人物なのです。
その授業は1年を通して坂口安吾の日本論を読む授業で、坂口安吾の書いている多くの随筆を読みつつ、どうして彼がこのような思想表現を持っていたのかについて考える講義です。
自分も何の気なしにこの授業を取っていて、それまで坂口安吾という人物を聴いたことさえなかったんです。
「日本文化私観」「青春論」を読んでいて、もうすぐ「堕落論」のところまで行きそうってときに、島本理生さんの『シルエット』に出てきた坂口安吾というなまえ。
すごく大げさかもしれませんが、運命みたいなものを感じました。
島本理生さんのこの本をこのタイミングで手に取ったっていうのは、偶然だとしても、見えない糸で引き寄せられたような感じがするんです。
もし自分があの講義をとらなかったり、とったとしても出なかったり、この本を今年度になる前に手に取っていたらスッとこの部分は読み流していたと思います。
本との出会いも、人との出会いと同じように、出会うときっていうのが決まっていて、それがまた面白いんですよね。
たしか同じようなことを有名な方が本で書いていたように記憶しています。

ここまで『シルエット』を読んで、わかるなーって思った部分は、41ページに出てくるこの部分。
「匂いというのは時としておそろしい。視覚の記憶よりも強烈に過去を引きずりだすからだ。持っていた服には太陽と埃が適度に混ざりあったようなせっちゃんの匂いがきっちり染み付いていて、抱きしめられた瞬間の体の疼きがつかの間、腕のあたりから一気に込み上げてきた。」
たしかに視覚の記憶よりも、嗅覚で感じた記憶のほうが、それを感じたある過去の一点を鮮明に思い出させます。
子どもの頃の海のにおいとか、お母さんのにおいとか、家の近くに広がっていた水田のにおいとか、公園の砂場のにおいとか、それらを見た記憶は思い出せなくても、それに似た匂いを嗅いだ時にハッとはっきり思い出すなんてことが、自分にはよくあります。
好きだった人のシャンプーのにおいとかを、別れたあとに違う人から伝わってきたにおいで、その人のことを好きになっただとか、あのときを思い出してイライラしただとか、匂いには不思議な力があるように思います。
いつか主人公のように、好きな人の匂いで体が疼くなんてことが自分の身に起こることが信じられないです。
やっぱり島本さんの小説は読むとどんどん深みに嵌っていく感じがして身震いします。

帰れぬ人びと/鷺沢萠

帰れぬ人びと (文春文庫)帰れぬ人びと (文春文庫)
著者:鷺沢 萠
販売元:文藝春秋
(1992-10)
販売元:Amazon.co.jp
クチコミを見る

この本も河合塾のマーク模試の現代文で取り上げられたため、手に取った作品だ。
この人の名前を聞いたことがなかったものの、『帰れぬ人びと』の人物の心情や町の風景描写にすごく惹かれて、本を開いた。
本を読み終わってこの文章を書くにあたって、鷺沢さんのことをウィキで調べたら、今から8年くらい前に亡くなっていたことに驚いた。
しかも自殺でまだ35歳という若さ。この作品しか読んでいないのに、結構ショックを受けた。
ついでに萠を「めぐむ」と読むこともそのとき知ったし、麻雀好きだってこともそのときわかった。

思いもよらぬ宿命の出会いから、ふたりの魂は引き寄せ合って……。挫折の影をひきずって生きる若者たちの優しさ、無垢さ、あやうさを鮮明にとらえた同時代文学。久々の本格派として話題を呼んだ筆者十代のデビュー作「川べりの道」(文學界新人賞受賞)、第百一回芥川賞候補作「帰れぬ人びと」を収める短編集。  解説・小関智弘

この本に収録されている『川べりの道』は鷺沢さんのデビュー作であり、『帰れぬ人びと』は芥川賞の候補作となっていた。
どの作品にも共通して思うのは、町の風景描写だ。
なんだろう、この町あってのこの人びとっていう感じ。すごく鷺沢さんの町に対しての愛着みたいなのが活字から伝わってくる。
解説の小関さんの「新宿三丁目とか自由が丘と、町の名前を書いてその先を読者にゆだねるようなものが多い。町は…記号で語れるものではない。」の言葉にすごく共感する。
たとえば同じ町に暮らしているからといって、その町に対するイメージや考え方というのは人によって違う。
ただその町を言われただけでは、作者のイメージと自分のイメージに齟齬が生じてしまうので、鷺沢さんのように自身のイメージというか発想というので作品を書いてくれるのは、自分にとってはとてもありがたいと感じる。

そしてもうひとつ、この作品集に登場する町は鷺沢さんの生まれ育った大田区の地名がよく登場するのだが、自分もこのへんの地名にはなじみがある。
だから「ああこういう町のイメージなんだ。自分と似てる、でもここはちょっと違う」みたいに楽しく読み進めることができた。
『かもめ家ものがたり』に登場する74ページ「穴守稲荷のこの赤い鳥居」。
この作品が書かれた当時は羽田空港ターミナル前の駐車場にあった赤鳥居だが、1999年に空港の滑走路を拡張するために弁天橋付近に移動している。
主人公のコウが「鳥居を見ながら後ろ向きに歩いた。弁天橋に着くころには陽も傾きかけていた。」というシーンも、今では再現できない。
そもそもなんで鳥居が空港の中にあったかというと、この赤鳥居は空港をつくるために終戦直後に羽田穴守町、羽田鈴木町、羽田江戸見町の3つの町を2日間でぶっ潰したときに残ったものだそうだ。
京急蒲田駅前の町並みなども描かれており、たまにこのへんに遊びに行く自分にとっては親しみやすい話であった。
『帰れぬ人びと』の219ページの一節、磯野社長が村井に対して「『…前は漁村だったのよ、羽田は。川むこうから工場(こうば)がたくさんやって来るまではにィ』…『もう海は遺憾、そのうちなんも獲れんようになるからって……』」
ここでも羽田という地名が登場しており、鷺沢さんの生まれ育った故郷に対する並々ならぬ愛情というのが伝わってくる感じがした。
『朽ちる町』では東京スカイツリーに近い曳舟川通り、鍍金工場のにおい、遊廊(赤線)という、もう平成生まれの自分ではなつかしむことのない昭和の時代の一片を垣間見ることができた。
作品に登場する人物のキャラクターは深かったものの、自分にとってはたんたんと物語が進んでいく感じで、そんなに印象に残らなかった。
自分の頭が悪くて細かな心情を理解しきれなかったのかもしれないが、こういった人物描写よりその背景の町の描写に、ひたすら読みふけった作品であった。
また『帰れぬ人びと』では故郷が「ない」人びとを描いており、鷺沢さん自身がこういった人びとを書くギャップみたいなのにも興味深かった。
とくに作品の登場人物がどうでよかったみたいな話ではなく、ただ純粋に話そのものを好きになった。

なんかまとまりのない。どうもこう、自分自身読み流してしまったのかな。
素敵な本に、皆様が出会えますように。

一千一秒の日々/島本理生

一千一秒の日々一千一秒の日々
著者:島本 理生
販売元:マガジンハウス
(2005-06-16)
販売元:Amazon.co.jp
クチコミを見る


島本理生さんが好きなサークルの後輩がいた。
その後輩から借りた『ナラタージュ』が、自分と島本さんの本との出会いだ。
『リトル・バイ・リトル』が2003年に野間文芸新人賞を受賞していたので名前も知っていたし、実際河合塾のマーク模試で、彼女の作品が出題されていたから興味があった。
そしてマーク模試の問題で見た『一千一秒の日々』を、今回読むことができた。
こんなに長文書くつもりではなかったんだけどな。

仲良しのまま破局してしまった真琴と哲、メタボな針谷にちょっかいを出す美少女の一紗、誰にも言えない思いを抱きしめる瑛子。真剣で意地っ張りで、でもたまにずるくもあって、でもやっぱり不器用で愛おしい。そんな、あなたに似た誰かさん達の物語です。いろいろままならないことはあるけれど、やっぱり恋したい、恋されたい――『ナラタージュ』の島本理生がおくる傑作恋愛小説集、待望の文庫化!! 解説・中村航(本書裏表紙より)

この作品は「ウフ」に連載されていたものを集めたものとなっていて、最後の「夏めく日」を除いて出てくる登場人物が一貫している。
まず出てくる人たちがとても個性的で、読んでて飽きなかった。
どの人間にもすごく癖があって、だけどそれが可愛かったり、愛情の裏返しだったりと、島本さんの作り出す登場人物の生き生きとした感じが、個人的に読んでてすごく楽しかった。
それぞれの話も20ページとちょっとくらいのものが多く、電車やバスのちょっとした時間ですんなりと読めてしまう手軽さも、楽しかった理由の一つだと思う。
解説にあるように「一千一秒=16分41秒」という時間で、ひとつの章をさらりと読めてしまうが、しかしながらその16分41秒というなんてことのない時間の大切さというか、「一千一秒」をこの本のタイトルに組み込んだ島本さんの思いというものを、自分は少しでも感じられたように思う。
いざそれを書きなさいといわれると書けないけれど……なんていうか文章であらわせないモノというかガイネンというか…。

「夏めく日」はほかの話とは独立している。
「私」と石田先生との不思議な関係を描いた話だったが、とくにこれといって強く心に残った部分はない?
図書室で手をつないで歩くシーンとかは楽しかったけど、これも100%かなわないっていうか、かなったら先生死亡だからなー。
中学生や高校生の時に抱くこうした気持ちは「憧れ」であって「恋」ではないのかなって、この年になると思ってしまう。
もし自分が高校生のときにこの本に出会っていたら、印象は違ったのか…。
Tracy Chapmanの『Fast Car』が文章中に登場していた。

ではほかの話について。

「風光る」を2ページくらい読んだときに、ああこの2人はいつか別れてしまうんだろうなみたいなのが文章から読めた。
その予想がひとつの章の中で的中してしまうとは思わなかったけど。
なんか、もう彼氏のほうが彼女との関係をどうしようみたいな迷いが表れていたように感じた。
たとえば、「『なくてもいいよ』と呟い」た真琴に対して、「中途半端にうやむやのままなかったことにされ」たり、哲の「『べつに、指輪なんてしなくてもいいだろ』」みたいなセリフだ。
これらがすごく相手に対する冷たさと同時に迷いもある哲の気持ちを受け取ることができた。
何気ない文章の中で表現できているのは、島本さんの読みやすい文章の中にちりばめられている背景描写が細かいから?

「七月の通り雨」では瑛子の真琴に対する気持ちがすごく伝わってきた。
言葉を選ばずに言うなら「レズ」っていうやつなんだけど、相手が100%受け入れてくれないのをわかってその気持ちをどうすればいいかわからずに日々を送っている様は、すごく共感できた。
異性に対してだけでなく同性に対しても、つまり恋愛感情がない場合でも、この人とは100%分かり合えないっていうことをわかってしまったときのどうしようもないあの気持ちを思い出した。
相手が受け入れてくれるのならばいいけれども、特に日本では「はいそうですかじゃあつきあいましょう」なんてならないじゃないですか。(←偏見?)
その葛藤がすごく描かれていて、遠山君の打たれ強さに惹かれた。自分には絶対無理(笑)
すごく共感したのはP31の「子供のときから人付き合いが苦手だった。それなりに親しくなることはあっても、一歩、先に踏み込むことができない」という部分。
自分もそう。こどものころからいままでずっと人と付き合うの苦手。人間嫌いだし。
親しくなってもその先に踏み込むことはやっぱりできない…っていうか踏み込むって何?
人の話を聞いたり言い合ったりするのは「踏み込む」ことなのかな。
だとしたら「踏み込む」ことは好きでも「踏み込まれる」ことは苦手…ほどでもないけど、なんかしっくりこないかもしれない。
自分のことを語るより他人の話を聞いていたほうが自分にはあっているように思う。

出てくる登場人物の中で一番興味を惹いたのは、加納君と針谷。
彼らは「青い夜、緑のフェンス」「屋根裏から海へ」「新しい旅の終わりに」にそれぞれ登場している。
どちらも男性だけど、まさに自分の理想の男性像だと思った。
これがまさに「自分に似た誰かさん」なのかもしれない。
恋愛に対する誠実さとか、他人のことを気遣っている心の広さとか。
しかしこれだと自分はすでにこういったものを備えているように見えるけど、いや全然持っていないことはないと思うんだけど、この人物みたいにここまで自然にというか、まるでツーといえばカーと返すというか、こんなに臆せずに言葉を伝えられる勇気というか、そういったものを自分はを持ちあわせていないように感じる。
これは島本さんが持っておられる、男性に対する理想像なのかもしれないとも考えた。

「青い夜、緑のフェンス」に登場する一紗(かずさ)のことをいやいやながらしっかり送って行くところやここぞってときに守っている針谷くんは、メタボなイケメン!
一紗が先輩と「寝ちゃった」ことに対して「『…これからはおまえがなにか危ない目に遭いそうになったときには、かならず相談してほしい。…もう一人で解決しようとするな」と話す針谷。
もうここまできたらつきあえばいいのに。自分のような人間を好きになるはずがないって思っちゃっているところがもったいない…。
「屋根裏から海へ」「新しい旅の終わりに」は、加納君がかっこいいというかもう人間離れしている気さえした。
真琴の元カレである加納君が、別れた後でも自然な付き合いをしているのがすごいと思った。
自分は何となく意識してなんかその人に対してとがった気持ちになるから…、こういうふうに接することができる加納君がうらやましいな。
なお、この「屋根裏から海へ」はちょうどマーク模試で出題されていた部分だった。
一部だけ出題されていたが、実際のところこの章全体を読まないとこの話を味わうことは難しい。
沙紀さんが不憫でたまらない。なんかこの人には別の人と幸せになってほしいなって思う。

「夏の終わる部屋」は読んでいて苦しかった。
長月君と操のやり取りが、すごくどこか儚げですぐに終わってしまいそうに感じた。
P98の「『たとえ私が四十歳になっても六十歳になっても、海を見るたびに、初めてきたときに一緒だった長月君のことを思い出すんだなって。たとえ私たちがお互いを嫌いになって別れたとしても、その気持ちとは関係なく懐かしんだりできるんだね』」
もうなんか別れるの前提で話が進んでいるような気がしてならなかった。きっとこの2人は幸せにならないんだろうなーみたいに漠然と思ってしまった。
結局今付き合っている人たちでも別れる可能性もあるし、そのまま結婚して一生の僧侶となる可能性もあるし。
なんかそれを考えると、付き合ってその人とどこかに出かけたり一緒に何かをしたりしてつくった思い出っていうのが、別れた後に邪魔になるように思う。
長月君のような「あんまり執着しない」人間であれば、そんなこともないのかもしれないけど…。
とりあえず操はすんごくメンヘラな女だったってことになるのかな。
メンヘラな人と付き合ったことがないからわからないけど、大変なのかな…。でもどうしてメンヘラになるんだろう…。「相手を信じていないから」?

この人の文章はよしもとばななさん同様すごく読みやすいし、登場人物が自分に重ねあいやすいっていうのか、すごく読んでて自分のことのようにわくわくしました。
ぜひこの素敵な作品を一読してほしいなと思っています。素敵な物語に皆様が出会えますように。

【ブラック】logic

大学でこの学科を専攻しているのに、自分は「論理的」という言葉から逃げてきた。
自分はどちらかというと「感情的」な人間で、物事に反論するのが下手。
正直「感情的」でも人生歩んでいけるし、論理的な思考なんかなくてもなんとかなるーって思ってきた。

「でも実際、社会で生きていくためには論理的な考え方が必要になる時がある。」
これはほとんどのことを論理的に考え、生き延びるための武器としている人に言われた。
本当に俺は大学で何を学んできたんだよって感じ。
「だよねー」「だよねー」みたいな馴れ合いで、相手と波風立てずに生きることも必要だが、時には相手と意見をぶつけ合うことも大切だ。
反論できないのはその考えができないだけでなく、きっと相手を傷つけたくないからなのかもしれない。
いや相手じゃない……「自分」を傷つけたくないんだと思う。
結局自分がかわいいから、相手に反論できないのかもしれない。
自分は時に相手の意見をおさえつけたり、それを逆手にとって利用したりすることができない。
結局小心者なんだろうね。

論理的な考え方ができる人は、「1」~「30」までを言い合って「30」を言った方が勝ちみたいなゲームで、必ず勝つ。
これは「物事を逆算して考える」能力が必要で、それに長けているから。
「これをしなければならない。これをしたい」→「そのためにはいついつまでに何をどうすればいいか」→「それを実行するためにはどうすればいいか」のように、目標を達成するための逆算して道筋を立てる。
これ、予備校時代にも言われた。
目標や夢を語るのは簡単だけど、実現するのは難しい。
それはその目標に対してこうやって考えないから?
こんなのあたりまえなことなのに、自分には全然できない。
だから「バカ」って言われるのかなあ。

でもその人と本気で話していたら、もうひとつの自分の可能性を見つけられる気がした。
自分も意見を述べられるようになるのではないかなとも考えた。
まだ自分の中に「自分」が存在していない、しっかりとした土台みたいなのがない自分には、そいつに到底太刀打ちできないが。
自分もある時に「論理的」に何かを言えるように、これからこの人と徹底的に言い合ってみたいと思った。
そいつはそのことで俺のことを恨んだり嫌いになったりはしない気がするし、自分もそう思う。
むしろキツイ意見をぶつけられてみたい。この先の厳しい声を鼻で笑えるように。

自分はこうやって相手に言いくるめられて、騙されたり動かされたりして、たぶん利用されやすい奴だと思う。
でも、自分みたいな騙されやすい人間、扱いやすい人間がいるから、世界は回っているんじゃないかとも考えたり。
自分はそうやって他者を利用する人間にはなれない……いやなれるかもしれないが、そのことを自分は望まない。
むしろ自分は利用されるだけ利用されてもいい。人生オワタな利用されない限り。
その変わり、「俺は今利用されている」ということを自覚できるようにしたい。
無自覚な「ぴえろ」より、自覚のある「ピエロ」でありたいですね。
こう思うのは「馬鹿」ですかね。
まあ「馬鹿」ならいいや、「バカ」よりマシ。
あ、でも利用しようとする人間を見下している人間に、利用されるのは御免だ。

あー、だから人間嫌いなんかな?
そもそも人間自体、中学生くらいから大嫌い。
「嫌いなもの」っていう欄があったら、迷いなく「人間」って書くし。
見下したり見下されたり、本当に醜い生き物。
そして自分もそんな「ヒト」なのがすごく残念。
でも生まれてきたこと自体が罪なんだからしょうがない。

そんな論理的な人間も、恋愛は「感情論」になるみたいだ。
そこはなんかほっとした。
人間って不思議な生き物だ。
『No Logic』って曲を思い出した。

なんかこういう人間と接すると、世界は自分の知らないことですごくあふれていることを実感する。
人生死ぬまで学ぶことばっかだな。
とりあえず1年の時に使った野矢さんの『論理トレーニング』見返してみよ…。 

TSUGUMI/吉本ばなな

TUGUMI(つぐみ) (中公文庫)TUGUMI(つぐみ) (中公文庫)
著者:吉本 ばなな
販売元:中央公論社
(1992-03)
販売元:Amazon.co.jp
クチコミを見る

病弱で生意気な美少女つぐみ。彼女と育った海辺の小さな町へ帰省した夏、まだ淡い夏のはじまりに、つぐみと私は、ふるさとの最後のひと夏をともにする少年に出会った――。少女から大人へと移りゆく季節の、二度とかなえられないきらめきを描く、切なく透明な物語 第二回山本周五郎賞受賞
(本裏表紙より)

ここ最近の小説の中でかなりのハイペースで読めた作品。
この作品に出会ったのは、1996年のセンター試験の過去問を解いているとき。
ちょうど現代文第二問で、この作品が取り上げられていた。
この部分は「告白」のp114~117に書かれている。

自分は評論家ではないから、この作品のここがいいだとか、ここがおすすめだとか、そんなことは書けない。
素敵だなと思うところをちょっぴり引用して、残しておきたいと思った。
本を読んだのは4日前なので、そんなに細かく覚えていないが、印象に残った部分はかなり多い作品だった。
また全体的に読みやすく、活字が苦手な自分でも一息に読んでしまえる作品だった。
ばななさんの作品の特徴のひとつらしい。

この作品は次の一言からはじまっている。

『確かにつぐみは、いやな女の子だった。』

本のタイトルにもなっている「つぐみ」を一言で言い表すとコレ。
体が弱く、医者から短命宣言をされているつぐみは、まわりがチヤホヤと甘やかした結果、『意地悪で粗野で口が悪く、わがままで甘ったれでずる賢い』人間になってしまったという。
センター試験で読んだ時もすごく男言葉だったから、つぐみって男の子なのかと思ってしまうが、単にこれは口が悪いからである。
でも彼女は『黒くて長い髪、透明に白い肌、ひとえの大きな、大きな瞳にはびっしりと長いまつ毛がはえていて……神様が美しくこしらえた人形のような端整な外見』であり、『そとづらだけは別人のようによ』い人間である。
男たちは彼女にコロッと騙されてしまうのだから、読者の印象は「悪い女」「いやな女」というイメージになってしまいがちなのだが、自分はなんかこの物語を読みすすむにつれて、今の言葉でいう「ギャップ萌え」というやつを感じてしまう。
語り手であるまりあは端役であり、主人公はあくまでつぐみで、まりあよりもむしろつぐみに、自分はすごく感情移入してしまう。

とくに「お化けのポスト」「穴」のエピソードでは、つぐみの人間の底力というのか、一体どこからそんな気力がわいてくるのかみたいな、すごく不思議な感じがした。
グワーッみたいなおりゃーみたいな、そういう力が活字から伝わってくるようだ。
何かのエピソードを受けたこの破天荒な行動に、涼宮ハルヒを思い出した。
だがつぐみは、なんかハルヒ以上の行動力と気力の持ち主だと思う。

好きなつぐみのセリフとして、「よそ者」P73がそのひとつ。
つぐみの根元にあるゆるぎない信念というか、これが私の生き方なんだっていうのを語っている部分だ。

『食うものが本当になくなった時、あたしは平気でポチを殺して食えるような奴になりたい。……後悔も、良心の呵責もなく、本当に平然として「ポチはうまかった」と言って笑えるような奴になりたい。』
『そう、わけのわかんない奴。いつもまわりにどこかなじめないし、自分でもなんだかわかんない自分をとめられず、どこへ行きつくのかもわかんない、それでもきっと正しいっていうのがいいな』

なんか自分もこんなわけのわかんない奴なんだろうなって思った。
でもわけわかんなくても正しいっていえる、何だろう、この文章の言葉を借りるならば、自分の中にある鏡っていうのを、自分はまだ持てていないように感じる。
つぐみにすごく感情移入してしまうのは、自分のつぐみへのあこがれなんだろうか。

「夜のせい」とエピソードは読んでてすごく楽しくなった。
自分も最近眠れない日が続いていたので、そんなときは深夜の街を徘徊してみるのもいいかもしれない。
職質されてしまうかもしれないけれど、たまには家を飛び出してどっかでゆっくり音楽を聴いたり、ファミレスのドリンクバーを飲みながら本を読んだりなんて、すごく楽しそうだなって思う。

「告白」の『おまえを好きになった』と、恭一に告白するシーンはとってもかっこいい、っていうか、男らしい。
こういうストレートな告白って、たとえフラれても未練残らないじゃねって思う。
ここもすごく自分と重ね合わせてしまう。

ここから先の章で、だんだん物語は佳境に入っていく。
最初この本をとって読み進んでいた時、つぐみという主人公の死が近づいている感じがしたが、実際は…。
なんかばななさんはバッドエンド」が嫌いみたい。
そこになんか救われた感じがした。
映画にもなっているらしいので、そこから入るのもありかもしれない。
でもこの小説はすごくばななさんの世界観に引き込まれるので、ぜひ手にとって読んでほしい一冊だなと思った。
そして、ばななさんがあとがきで『つぐみは私です。この性格の悪さ、そうとしか思えません。』という一文が、他の作品を読んでみたい気を起させた。

素敵な物語に皆様が出会えますように。

ゲームブログ更新中!
Twitter更新中!!
記事検索
タグクラウド
アクセスカウンター
  • 今日:
  • 昨日:
  • 累計:

livedoor プロフィール
Twitter プロフィール
◆経歴:とーいん→せんだいカッパ→かわいきょうバイ→教官→SE。◆好きなもの:車、バイク、電車、ドラム、鍵盤、アニメ、ゲーム、イベント、聖地巡礼、資格。
NAVERまとめ
「NAVERまとめ」ブログパーツは、サービスを終了しました。
LINE読者登録QRコード
LINE読者登録QRコード
QRコード
QRコード